あの人の会話を真似してもダメだった理由

●なぜ真似をしてもうまくいかないのか

私たちは生まれてから、何でも親の真似をして学びます。

「学ぶ」と「真似る」は同じ語源とされるように、
親の言葉を真似して、しゃべるようになるし、
周囲の人たちが立って歩いているのを見て、
やがて立とうと試みるようになる。

ところが、「真似が裏目に出る」ケースもあります。

親が早口だと、真似て早口を受け継いでしまう。
親が感情的にしゃべるタイプだと、いつの間にか真似てしまい、
感情を爆発させるのが当たり前になる。

食べる速さも、落ち込み方も、お金の使い方も、
叱り方も、叱られたときの反応も、無意識のうちに真似てしまう。

「嫌なところほど似る」と言いますね。
もっとも、嫌なところほど気になって「うわ、母譲りだ」と気づきますが、
ちゃんと良いところもたくさんもらっているんですけれどね。

だから、何でも真似すればいいわけではありません。
何もできなかった子供の頃は、「真似るしかなかった」ということ。

もし仮に、「早口でまくしたてる」とか「叱られると暗くなる」
ようなネガティブな反応を卒業したいなら、
大人になってから自力で「再学習」する必要があります。

このレッスンが、まさにそうですね。


●真似をしないでセオリーどおりに練習

たとえば、前回に取り上げた「会話」。

会話上手な人が身近にいたとして、その人の話し方を真似しても、
会話上手にはなれなかったでしょう?

文章でも、そんな話をよく聞きます。

文章の書き方を取り上げた講座に出た方から、
「講座で教わった型より、先生の文章を真似して練習したら
一番の近道ですよね」と言われたのです。

しかし、それは違います。
バイオリンのレッスンに通い始めた子供が、
「先生の真似をしていたら上手になった」ということはないでしょう?

これまでの経験の総量も意識内容もぜんぜん違うので、
真似しているつもりでも、表面的な真似しかできていないのです。

伸びて上手になる子は、「先生の真似をする」子ではなく、
「先生に教わったとおりに練習する」子です。

文章を書いていても、型を完全にマスターした人が書くと、
型が見えなくなる。

そんな書き方を真似しようと、「なるほど~、必ずしも
型を守らなくてもいいんですね~」なんて言って、
「カタナシ」になってしまいます。

「先生をお手本にしてがんばります」と言われたとき、
「私を手本にしないで、教わったとおりに練習してください」
と答えるのは、そういう理由です。

生まれも育ちもバックグラウンドも見た目も年齢も性別も
何もかも違うのだから(誰でもそうですね)、
仮にコピーしたように同じ文章を書いたとしても、
読んだ人の反応はまったく違います。

私の文章をコピーして、あなたのブログに貼り付けても、
あなたの読者は違和感しか感じないでしょう。

真似は正解ではありません。
ベースにあるもの(思考法など)を身につけてください。
そうすれば、あなたの生み出すもののクオリティーは
年々着実に高まっていきます。

人と良い関係を築く「会話」も同じですよ。


●会話にもセオリーがある

会話にも、セオリーがあります。
セオリーを守って練習すると、着実に上達します。

すでに上手な人の真似をしても、上手になりません。
真似をしているつもりで、表面的な「ものまね」にしかならない。

会話には、いろいろな要素があります。
声もあり、しぐさもあり、話題の選び方もある。

「会話が続かない」
「沈黙が気まずい」
「自分ばかりしゃべって自己嫌悪」

こんな現状を打破するのが、「秋の講座」です。

あと2ヶ月ですね。心の準備をしていてください。

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